リチャード1世とエクスカリバー考
「(リチャード1世は)自分の剣をエクスカリバーと呼んでいた」
日本語版wikipediaの「リチャード1世」の項目にはこんなことが書いてある。
さりげなくも非常なインパクトがある一文であり、私自身も初めてこれを読んだ日には中二病とか僕のエクスカリバー(※)とか散々ネタにしたものだった。
さらに近年、Fateシリーズが彼を元にしたキャラクターに上記の設定を採用し、「リチャードの剣はエクスカリバー」という認識はますます人口に膾炙するようになったと思われる。
……しかしである。
漫画を描くうえで伝記は5冊、webページも色々参考にさせていただいたが、そんな話は日本語版wikipedia以外で見たことがないのである。
おらおらソースを出せソースを!
いや、煽りとかではなく純粋に気になるし、あるなら教えてほしいのである。
というわけで、リチャード1世とエクスカリバー及びアーサー王伝説の関係について、また「リチャードが自分の剣をエクスカリバーと呼んでいた」説の真偽について、自分なりに調べて整理してみた。
少々長くなるが、お付き合いいただきたい。
(※)何年前だったか、web広告でよく見かけたBL漫画のセリフ。よりにもよってリチャードには男色家の風聞がある。
《0.結論から言うと》
そんな事実はない。
もっと適切にいうと、「根拠はゼロではないが、正確ではない」という感じ。
リチャード1世が一時エクスカリバーと呼ばれる剣を所持していたことは確かである。ただしそれは彼が名付けたわけではなく、戦闘で自分の剣として使った記録もない。
以下、具体的に見ていこう。
そもそも何故、リチャード1世とエクスカリバーが結びつくのか?
エクスカリバーの持ち主アーサー王は「イギリス王」だし、リチャード1世も「イギリス王」だし、別に不思議じゃないじゃん?と思われるだろうが、
事はそう単純ではない。
アーサー王はブリテン島に古くから住んでいたケルト系ブリトン人の英雄、一方のリチャードはノルマン人とフランス人の混血で、本来属する文化圏が違うのだ。
よって、まずはケルトの伝説として生まれたアーサー王物語が、いかにしてノルマン・フランス文化圏に取り入れられたのかを見ていく必要がある。
アーサー王は伝説上の人物であるが、そのモデルとされる人物はおり、
(2)属州ブリタニアに駐屯したローマの将軍ルキウス・アルトリウス・カストゥス
などが考えられている。また彼の造形にはデーン人(いわゆるヴァイキング)を撃退したアルフレッド大王(※1)の逸話も取り入れられており、いずれにしても「侵略者と戦った軍事的英雄」のイメージが投影されているようだ。
彼が初めて「イギリス王」として描かれたのは、12世紀の聖職者ジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史』である(※2)。
同書はブリテン島の歴代王の事績を記した歴史(風)物語で、アーサー王もその一人として登場し、ブリテン島の統一や西ローマ帝国との戦いでの活躍が描かれた。
アーサーが初めて王と描かれたこと、従来断片的に伝えられてきたアーサー伝承が初めて一貫した物語として編み上げられたこと、伝承が西欧各地に広がるきっかけを作ったことなど、この作品がアーサー王伝説の発展に与えた影響は非常に大きなものがある。
その後『ブリタニア列王史』は詩人ウァースにより『ブリュ物語』としてフランス語訳された(※3)。
さらにこの2冊に影響を受け、フランスの吟遊詩人クレティアン・ド・トロワがアーサー王伝説を題材とした騎士道物語を創作(※4)。
これらの著作を通じて、アーサー王伝説は西欧各地に伝播し、アーサー王は「ブリトン人の英雄」から「騎士道物語の英雄」として、民族・国家を問わず広く受け入れられる存在になったのである。
(※1)アルフレッド大王はアングロサクソンの王。民族的にはアーサー王の敵なのだが、重要なのは「国を守った王」という性格だったのだろう。
(※2)アーサーという人名自体はそれ以前の文献にすでに登場しているが、彼を王として描いたのはジェフリーが初めて。
(※3)ちなみに、エクスカリバーの名が最初に用いられたのはこの本である(ブリタニア列王史では「カリブルヌス(英:カリバーン)」)。
(※4)彼は円卓の騎士たちをキャラ立てしたり、騎士道的な描写やドラゴン・魔法などのファンタジー要素を増やすなど、いま私たちがイメージする「アーサー王伝説」の世界観の成立に大きな役割を果たした。
1155年。ちょうどこの頃、アーサー王の生みの親ともいえるジェフリー・オブ・モンマスが死去し、『ブリュ物語』が成立し、そしてイングランドではプランタジネット朝の統治が始まった。
ご存じの通り、プランタジネット朝の開祖ヘンリ2世はフランス出身。『ブリタニア列王史』のフランス語訳である『ブリュ物語』が生まれたのも、新たな支配者の需要に応えてのことだったのだ。
ヘンリとその妻アリエノールはともに文学を保護し、特にアリエノールとアーサー王伝説は深い関係にあった。
彼女の治めるアキテーヌ公国ではもともと吟遊詩人の活動が盛んであり、彼女の宮廷ではアーサー王を題材とした作品がしばしば取り上げられ、『ブリュ物語』がアリエノールに献上されたという記録も残っている。
そもそもアーサー王伝説の普及に一役買ったクレティアン・ド・トロワはアリエノールと前夫ルイ7世の娘・シャンパーニュ伯妃マリーの宮廷に仕えており、彼女を通じて、アリエノールと接点を持つこともあったかもしれない。
このように、プランタジネット家にとってアーサー王伝説はごく身近なものであった。母アリエノールとともにアキテーヌで育ったリチャードも、自然とアーサー王伝説に関心を持つようになったと考えられる。
このような背景のもと、ヘンリ2世はアーサー王の死地・アヴァロンと伝えられるグラストンベリーの発掘を行わせた(※1)。1191年頃にはアーサーと王妃ギネヴィアの墓、そしてエクスカリバーが「発見」されることとなった。
ヘンリを動かしたものは、単なる好奇心ではない。プランタジネット朝の王たちにとって、アーサー王墓の発掘は大きな政治的意味を持っていたのである。
彼らの領土、いわゆる「アンジュー帝国」はフランス西部とイングランドなど広大な地域を含み、当然住民もノルマン人、ブリトン人、アングロサクソン人、フランス人など多岐にわたっていた。「帝国」の主は文化的背景の異なる彼らを円滑に治めなければならなかった。
そのために、ヘンリやリチャードはアーサー王伝説を利用していった(※2)。彼らは自らをアーサー王になぞらえ、またエクスカリバーなど王の遺品を所有することで、アーサー王の後継者=イングランドの正統な王であると主張した。彼らはアーサー王とエクスカリバーの権威を利用することで、アーサー王伝説を共有する諸民族の統合をはかったのである(※3)。
また、王墓の発見は他にも重大な意味を持っていた。それは「アーサー王再臨伝説」の否定である。ケルトの人々の間では「アーサー王は死なずに姿を隠しており、いつの日か再臨して侵略者を打ち滅ぼす」という伝説が信じられていた。ヘンリ2世はアーサー王の死を確認することで、王の復活の可能性を閉ざし、彼らの反抗心をくじこうとしたのである。
(※1)この発掘を行った王については諸説あり、ペルヌーの『王妃アリエノール・ダキテーヌ』にはヘンリ2世、FioriのRichard the Lionheart :King and Knight にはリチャード1世と書かれている。親子2代にわたって行われたということか?
(※2)例えば、ブリトン人が多く住むブルターニュ(フランス北西部)の領主はヘンリの三男ジェフリーだったが、その子供はアーサーと名付けられた。これも支配の正統性をアピールする狙いがあったと考えられている。
(※3)ちなみにライバルのカペー朝もカール大帝との連続性を強調していて、フィリップ2世の戴冠式にはカール大帝の剣(デュランダル?)が持ち出されたという。剣を通じて伝説的な支配者の権威を借りる、というのはよくあることだったらしい。
《4.エクスカリバーの行方》
エクスカリバーが発掘されたのは1191年頃。リチャード1世はまもなく十字軍遠征に赴き、その際エクスカリバーも持って行った。そして十字軍の通過点であるシチリア王国にて、国王タンクレドに友好のあかしとして贈られ、彼の手を離れたのだった。
リチャードがエクスカリバーを持って行ったのは、やはりアーサー王の権威を利用するためだっただろう。一方で、利用価値の高いこの剣を彼があっさり手放した理由はよくわからない。
おそらく、当時のリチャードにとって重要だったのはアンジュー帝国の統治よりも十字軍の成功で、そのために地中海の要地・シチリアとの友好を重視したのではないかと私は考えている(※)。もしくは、「こんな剣に頼らなくても名声くらい自力で稼いでやるぜ!」とか考えていたのかもしれない。
(※)ちなみに、シチリア王からの返礼は輸送船4隻とガレー船15隻、金2万オンスなど。リチャードの甥アーサーとタンクレドの娘の縁組も取り決められた。当時のリチャードにとっては、エクスカリバーと天秤にかけてこちらの方が重かったようだ。
《5.結論》
リチャード1世の生きた12世紀を通じて、アーサー王は「理想の騎士王」として全ヨーロッパ的な知名度と人気を誇るようになった。
リチャードはアーサー王の名が持つ効果を十分に理解・活用し、自らもアーサー王のような「騎士王」として振る舞った。アーサー王の墓から発見された「エクスカリバー」もまた、政治的パフォーマンスの手段として利用されたのである。
《ひとりごと》
結局、「リチャードが剣をエクスカリバーと呼んでいた」という直接的な記述は見つけられなかったが、その淵源は大体分かった。いかにもネタっぽい逸話の裏には、プランタジネット家の冷静な生存戦略が隠れていたのだ。
面白かったのは、ロマンチストな脳筋とみなされがちなリチャード1世が、アーサー王やエクスカリバーの名声を利用する現実的な顔も持っていたということ。こうなると「騎士道の体現者」と賞賛されてきた彼の振る舞いも、どこまで素でどこまでキャラ作りなのかよく分からなくなってくる。まぁ「イエス&ノーな男」というあだ名もあるし、そういう複雑な人間性が、彼の面白さであり魅力なんだろう。
最後に「僕のエクスカリバー説」、実はソースがあったら是非教えていただきたい。だって本当だったら滅茶苦茶面白いじゃん。
《参考文献》
石井美樹子『王妃エレアノール 十二世紀ルネッサンスの華』(朝日新聞社 1994)
レジーヌ・ペルヌー著 福本秀子訳『王妃アリエノール・ダキテーヌ』(パピルス 1996)
マーティン・J・ドハティ著 伊藤はるみ訳『図説 アーサー王と円卓の騎士』(原書房 2017)
John Gillingham, Richard I Norfolk,2002
Jean Flori, Richard the Lionheart :King and Knight Edinburgh,1999
Georges Duby, France in the Middle Ages 987-1460 Oxford,1191